企画書(PDF:228KB)

「建物公開」に参加。邸宅美術館の中で作品に出会う、新しい美術鑑賞法。

概要 宵闇に白くこぼれるように咲く桜のアプローチ。そのずっと遠いところで見え隠れする灯り、アール・デコの館に出会う。 旧朝香宮邸をそのまま美術館として公開する庭園美術館の春の企画は、魅力的キーワードに満ちていた。夜桜、サティのピアノ、館内撮影可。同時代に実現し得る最高峰のアール・デコ装飾美術を公開すると供に、外から桜越しに建物を鑑賞したり、中からはカーテン越しの窓を通して桜を鑑賞する趣向。

建築の特徴 建物は鉄筋コンクリート造で、構成は中庭を配したロの字型プラン。1階南側に充実した接客空間、2階に日常の場を配して断面的に機能を分け、また夏と冬とで居間を南北に使い分けるなど、日本の気候を考慮して立体的に合理化が図られた。同時代の宮家の邸宅はステータスとして洋館を持ち、日常の場を和館で過ごすスタイルであったから、浅香宮邸の一棟集約型プランは斬新かつ画期的なものであった。基本設計は宮内省内匠寮の権藤要吉が担当、接客部分5室と殿下御居間と書斎の計7室の内装をフランス人デザイナー、アンリ・ラパンが手掛けた。アール・デコ様式の建築物がオリジナルに近い状態で現存していることから世界的評価が高く、1993年(平成5)東京都指定有形文化財に指定されている。

朝香宮邸の誕生 この建物にはドラマがある。軍国主義の世、明治天皇の定めに従い軍人となった朝香宮鳩彦(やすひこ)王と、絵を嗜みフランスの芸術・文化に造詣の深かった允子(のぶこ)妃(明治天皇第8皇女)の5人家族が住む邸宅の建設。允子妃の生涯はまるで、宮邸誕生のために選ばれた存在であったかのごとく、どこか謎めいている。

始まりは1922年(大正11)の悲しい事件。軍事研究を目的としたフランス留学中に、鳩彦王は自動車事故で足に重症を負い、運転をしていた北白川宮成久王が亡くなってしまう。このとき東京にいらした允子妃は、看護のためにフランスに渡ることとなる。療養の傍らで、夫妻は1925年(大正14)にパリで開催された「アール・デコ博」での装飾芸術に魅了され、高い美意識を身につける。そうして帰国後、関東大震災で被害を受けていた高輪の旧邸宅から住み替えるため、成婚時に賜った白金御料地(当時約1万坪)に宮邸新築を計画する。デザインはフランスで感銘を受けたアール・デコを基調とし、内装にはアンリ・ラパンを起用した。允子妃も自らグリルのデザインに関わり、材料の選択に意見を述べるなど打合せを重ね、多くの時間と情熱を注いだという。こうして1933年(昭和8)5月、朝香宮邸は遅れながらも完成して賞賛を浴びる一方で、病の床に伏した允子妃はわずか半年そこで過ごしただけでこの世を去ってしまう。

時代背景 朝香宮邸が竣工し允子妃が急逝した1933年は、満州事変が起こり、日本は天皇中心の軍国主義の只中で、少年航空兵や軍事犬の育成を開始した年。朝香宮鳩彦王もまた、第二次世界大戦末期には陸軍大将の立場で強硬な主戦論者として本土決戦に備えた陸海軍統合を強く主張した人物。世界を見れば、ドイツでヒトラーが首相に就任しナチスの独裁政権が確立、キューバで軍事クーデターが勃発した。日本では12月に皇太子明仁親王(今上天皇)が誕生、戦争危機の抑圧の中の明るいニュースはサイレンで一斉に知らされたという。また不安と抑圧の一方で産業も誕生しており、大阪で日本初の公営地下鉄が開通、府中競馬場や芝浦スケート場、有楽町の日本劇場の開場、後の日産自動車の設立など。

朝香宮邸の変遷 軍国主義の世に宮邸建設に2人の著名な外国人デザイナーが参加し、物資の少ない中で輸入材や高価な材料調達が可能であり建築が実現したことが、平民感覚とは大きな隔たりを感じるが、宮家として対外的格式を重んじる事情もあったのに違いないし、そうでなければ今日の価値は存在しなかった。シンプルで清楚な外観と典雅な意匠空間を持つこの建物は、その美術的価値だけでなく由緒ある高貴な館だった為に、戦時中も時代の権力者や財界人に守られてGHQの接収から免れている。朝香宮家が立ち去った後、戦後は首相吉田茂の公邸として使用され、西武鉄道の所有管理下では国の迎賓館としての使用を経て、現在の美術館公開に至っている。ところで、朝香宮は1947年(昭和22)に皇室離脱、東京ゴルフ倶楽部の名誉総裁となり、その後94歳で逝去されたということだ。

まとめ 1910-1930年頃、ヨーロッパでアール・デコが流行した時代の粋を集めて日本で体現した、建築と美術装飾と歴史観を一体として見学することができる庭園美術館。隣接する目黒自然園は、かつて一繋がりだった白金御料地の一部で四季を通じて豊かな自然を湛えている。今回の一番の発見は、不思議というか流石というべきか、戦争の痕跡がどこにも微塵もないことだ。美術館内部には立入制限があり、もう一つどうしても気になっているのは、建物の中からも外からも、ロの字型プランの「ロ」の部分を感じることができないこと。そこに潜んでいる風景を、いつか公開して頂けたらと思う。なお、人名や装飾に関する詳しい解説はこちらをごらんください。 (企画者/新藤)

[参考/東京都庭園美術館パンフレット・『旧朝香宮邸のアール・デコ』・東京都庭園美術館HP] 現地取材2010.04.02-04.10

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