高輪の地を守って100年、街のシンボルになった軍艦消防署

今年09年の春先、保存活動中の建物が焼失するニュースが相次いで流れた。そこで、絶対に燃えない前提の歴史的建造物を撮影用にお借りすることは可能か否か、高輪にある築76年目の現役消防署「二本榎出張所」を訪ねた。

今は失われた町名「二本榎」の由来は、旧東海道を行く江戸の旅人の一里塚。当時の呼名で「高縄手(現:高輪)」の寺にあった二本の榎の大木が「二本榎」と呼ばれて後に地名になった。大火で焼失後も植え替えて守られてきた、大切な象徴である。その地に二本榎出張所が最初に建てられてから100年。現在のたてもの庁舎は第一次大戦後1933年(昭和8)に高輪消防署の本署として建てられたもので、設計:警視庁総監会計営繕課、施工:間組。戦後GHQの勧告で改編や改称を経て、1984年(昭和59)高輪消防署の本署移転によって「二本榎出張所」となる。同年、東京都文化デザイン事業により保存建築物に指定。

建築の特徴は、ドイツ表現主義のRC造3階建。交差点角地に建ち、円筒形の望楼を支点として両翼を広げたような曲面ファサードを持つ外観デザイン。3階円形講堂は放射状の8本の梁と10個のアーチ窓がある。曲線をモチーフにした階段、アールヌーボー風の3つあるガス燈のうちの1つが現存。改修したのは外壁と1階内壁のタイルのみ。その他の意匠の見どころはこちらで。同時期竣工の建築に、東京都庭園美術館(旧朝香宮廷)、銀座和光(旧服部時計店)がある。

海抜25mの高さにあり、当時は東京湾を眼下に眺望できたことから「灯台」や「軍艦」などと称して親しまれた。消防署は軍艦「三笠」の船尾、道路を挟んだ高輪警察署は操舵室のモチーフで対にデザインされたというが、こちらは被災と老朽化で1977年(昭和52)現在のものに建替られた。残念に思うのは、鬱陶しく張り巡らされた電線の存在。そのうち無電線化が進むと、絵になるシンボルとしてもっと近くに感じるだろうか。

望楼は火災の発見を本部に連絡するための機能的造りだったが、電話の普及や、高層化した建物に囲まれたことで、火の見の機能を失った。そんな折の1984年(昭和59) 、都の「文化デザイン」事業により東京芸大前野教授が望楼の頂部に青いアンテナ状の塔を設置。現代にマッチしたシンボルタワーとして活かすことが意図された。美しい円筒を想像しながら見上げた望楼内部は、新設したタワーの構造体脚部が占領する、完全な裏方の場所になっていた。シンボルタワーは外から鑑賞するものとして設置されたのであり、本来の機能美を潰してしまう文化事業の在り方には、正直考えさせられたのだった。

「二本榎出張所」では行政サービスの一環として見学者を受入れている。一般、小学生、港区のウォークラリー等で年間700〜1000名が訪れ、建築的価値を伝えるとともに、展示室を設置するなど防災教育にも力を入れている。また、親睦会による花壇の手入れ、今年から始まった年末のライトアップなど地域交流にも積極的。消防実務で建物を守り、地域交流でシンボルとしての価値を守る取り組みに共感した。

撮影条件等: 外観撮影可、調査・研究目的の対応可、新聞雑誌の取材可。商用撮影は、緊急出動優先のため対応不可。

※この度、撮影交渉を兼ねた取材に応じて下った所長様、ご案内くださった副所長様に厚く御礼申し上げます。

[参考/高輪消防署 二本榎出張所パンフレット他・二本榎出張所HP] 現地取材2009.04.30

対象写真






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