桜絶景の廃墟といえば一番にここ、根岸森林公園

根岸駅で降りると、視界を塞ぐ高台の森。春の日に、気が遠くなるほどの石段を数えて辿り着いたその先遠く、一面の桜の雲上に、塔が3つ、霞んで見えた。ここは通称「根岸競馬場」。廃墟ファンにとってあまりに有名な、日本で最初の洋式競馬場の遺構である。

その歴史がまた面白い。幕末に薩摩藩の行列に乱入した騎馬のイギリス人を無礼として藩士が殺傷、外交問題へと発展した「生麦事件」。これを発端に、横浜の居留外国人が乗馬や競馬場用地を幕府に要求、1866年(慶応3)東洋一の規模を誇る「横濱競馬場」が建設された。当初は居留外国人専用の娯楽場だったが、後に日本競馬クラブに運営が引継がれ、内外の社交場として賑った。第二次大戦が激化すると、外国人の出入りが多い同施設は1993年に閉鎖。その後、高台から横須賀軍港を見渡せる無線通信所として旧日本海軍が徴用。戦後はGHQに接収され、米軍住宅やゴルフ場として使用されたことで、返還後は中央競馬としての機能を欠くこととなり、1994年の競馬法改正で「横浜競馬場」復活は幻と消えた。

同施設の設計はアメリカ人建築家J・H・モーガン。1930年の竣工当時、一等馬見所、二等馬見所の2つの観客スタンド、下見所(パドック)の3つの建物が存在した。二等馬見所と下見所は返還後の1988年(昭和63)に老朽化のため解体された。図らずも隣接する米軍基地と国境を分かつ砦となって残された運命的建物が「一等馬見所」。米軍側を向いたスタンド正面は、「日本」からは決して見ることができない。現在、横浜市の所有管理のもと、廃墟化した建物を生かしも殺しもせず、侵入防止のフェンス越しに朽ちていく産業遺構を多くの廃墟ファンはただ見守るのみ。米軍基地を介して広がる一帯の森林公園の春は、大らかな起伏の芝生と一斉に咲き誇る340本の桜山とで、圧倒的風景を作り出している。

利用条件等:一等馬見所は、過去にYMOのプロモーションビデオで使用されて話題となる。侵入者の続出で横浜市は警戒を強化、保存・利用計画を検討中。内部非公開。外観撮影可。森林公園のマラソン等は使用可。2009年、近代化産業遺産に認定されたのを機に、企画者も正式な見学を申請するも、「危ないから」とよくある理由で実現せず。米軍キャンプ開放日に行けば、「米側」から観客スタンドを見ることができる。

交通:根岸森林公園へは、JR根岸線「根岸駅」徒歩20分程。バスでも行けるが、廃墟との劇的遭遇を楽しむには、ゼッタイ徒歩をお勧めする。

[参考/根岸森林公園パンフレット・公園横浜市環境創造局HP] 現地取材2009.04.10 今年も出没予定。(企画者/新藤)

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