企画書(PDF:897KB)
掲載記事 RealTokyo

築75年。ビルに囲まれた今も、その威厳は変わらない。

現在の「築地本願寺」の前身、「築地御坊」再建に至る話である。その昔、浅草近くにあった寺が大火で焼失した折、幕府が示した建替地は八丁堀の海上だった。海を埋め立て、再建に尽力した佃島住民と門徒交流の場、「佃島説教所」は昭和9年に建てられた。今も月に一度の僧侶の法話があり、集会所として利用されるほか、伝統芸能の催しも行われる。創建時の材料そのままの、軋みと歪みと湿度を帯びた木の風合い、黒ずんだ直線で構成された静かな緊張感がある場所。

ここは月島と佃の境目、歩行者天国「もんじゃストリート」と佃大橋を結ぶ交点である。

月島の露店は関東大震災で一旦焼失して直ぐに復興、その後空襲でも焼け残り、棟割長屋の古い町並みが残った。月島は有楽町線が開通するまで、電車の途絶えた夜には本当に「島」になった。隅田川を隔てて高層ビルが次々と建つその傍らで。駄菓子屋で「もんじゃ」をおやつとして食べていた子供がやがて、「大人のもんじゃ」を食べ続けていくために形式を発展させたのは1960年頃のこと、界隈に75店舗のもんじゃ屋が存在する。

さて、寄席の後に商店街の温泉で一っ風呂浴びて、もんじゃで冷たいビールでも。

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