企画書(PDF:262KB)

敬意を込めて、そう呼ぶ。 廃墟マスターの家

1920年、旧丸ビルの設計技師長として46歳で来日した建築家。彼は居留地時代最後の在留外国人建築家であり、外国人初の日本建築士会会員でもあった。横浜を拠点に全国で30もの建物を手がけ、歴史的価値の高さから、山手地区では現存7棟の西洋館が保存され、今年09年2月には、戦時中軍に接収されて廃墟と化した旧根岸競馬場一等馬見所が近代化産業遺産として認定された。

その建築家の自邸は、立地にこだわり、関内の仕事場への車の便がよく、富士山や相模湾が見える高台の森に建てられた。彼の死後、転々と所有者を替え、元ホテルニュージャパンの故横井氏を経て競売、解体の危機にあったところ、地元建築家らで組織する「守る会」が、緑地保全と建物の現地保存を訴え、市と(財)ナショナルトラストが共同して買収、一般公開される運びとなったがその活動中、2度の不審火によって焼失した。出火の際駆けつけた「守る会」の福永氏は、近隣家屋や周囲の木に延焼がなかったことに、「火を自分の内に閉じ込めた姿は立派。運だけではない力強さを感じた。(要約)」と手記に書いている。

2度目に焼失した08年春、私はこの建物を撮影していた。焼け残った建物の輪郭の強さと色彩と、春芽吹いた緑の深さに圧倒され、事態の重さに脱力して暫くの間、写真を公開するのを差し控えていた。

「守る会」の活動は今年10周年を迎える。当初の設計意図を超えた後世、被災し廃墟化してなお多くの人に望まれて存在を守られる建物はそうは無い。敬意をこめて呼ぶ、廃墟マスター。その建築家は今、生前の希望により山手外国人墓地に眠っている。
                          
文/企画者・新藤 (参考「守る会」HP)

内観写真

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