赤水門と青水門。2つの川が交錯する時空スポット。

赤羽岩淵駅下車、新荒川大橋を渡っていくと、両側に桜堤が空との境界を分けて遠くに続く。左に行けば100本のソメイヨシノのトンネルの向こうにJR荒川鉄橋、右に行けば水門上の橋を通って中洲の島へ。河川敷にはゴルフ練習場など。

かつてその名の通り、幾多の氾濫を繰り返した荒川の名前の話。今では、青水門が仕切るかつての荒川下流を「隅田川」と呼び、「荒川放水路」と呼ばれた人工河川を「荒川」と言う。その分岐点に、岩淵水門は赤水門と青水門、少し離れて2つの顔で建つ。

明治期の関東大水害で、政府は荒川治水のために、人工河川「荒川放水路」を構想。パナマ運河の建設にも参加した土木技官の青山士らを責任者に、1913年(大正2)着工するが、苦労は続く。用地買収は1300戸に及び、3つの村が廃村となる。工事中には台風で重機や船舶を流出し,関東大震災では工事中の躯体に亀裂,完成直後の橋梁が崩落し、第一次世界大戦下では不況と物価高騰で難工事を強いられた。

旧水門(赤水門)は着工から8年を要して1924年(大正13)に完成。その後、通船のために一部ゲートが改造施されて以来、地盤沈下や不同沈下が深刻となり、1982年(昭和57) の新水門(青水門)完成に伴ってその役割を終えた。その後取壊しが検討されるも、1995年(平成7)に推薦産業遺産に、1999年(平成11)には東京都選定歴史的建造物となり、荒川のシンボルとなった。

春には花見で賑わう場所。堤に沿って帯状に桜が続くため、宴席が集中することは少なく、適当な距離が保てる。地元民のジョギングやサイクリングと動線の交錯あり。

撮影条件等:商用撮影は10日前までに申請要。個人は不要。水門施設内立入り不可。仮設トイレあり。ゴミ持ち帰り。

[参考//北区HP・他] 2009.03.30現地取材 (企画者)

対象写真





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