総理の家に行く。フィーバーに便乗してみる期間限定「友愛」の楽しみ方。

音羽通りに面した門から、坂道を上って玄関にたどり着くまでで森になる距離感。途中石段を発見、玄関ポーチ前に出る近道だと後から気付く。その瀟酒な洋館を建てたのは元内閣総理大臣、鳩山一郎。関東大震災の翌年1924年竣工、友人である岡田信一郎が設計、竹中工務店が施工した。脳梗塞の後遺症を持つ一郎はこの大邸宅を政治の場に活用し、ここで自由党(現自民党)の創設や日ソ国交回復の画策をしている。

1995年、築後70年を経て老朽化した建物は、記念機能と集会機能を備えた「鳩山会館」として再生されることになる。このとき太平洋戦争下の空襲で損害を受けた屋根を復元、威一郎の代に増築した書斎を撤去、外壁の焦げ跡も修復して忠実に当時の面影が再現された。公開に当り一郎(元総理大臣)、薫(妻・教育者)、威一郎(元外務大臣)を記念する部屋を設け、2階寝室部分は集会用に大広間として改造された。1階南面にはサンルームに面して応接間、居間、食堂が並ぶ。各室は日本家屋の襖のように扉を開け放てば連続した空間となり、サンルームを介して芝庭に出ることができる。至る所にハトやミミズクのモチーフあり。ステンドグラス(小川三知作)、彫像(朝倉文夫作)。

利用条件等: 撮影可(一部記念館除く)。映画・ドラマ・CM・雑誌・カレンダー等に。各種パーティに2F大広間の一般貸出あり。過去に「ゴスロリファッションが映える場所」と女性ファッション誌が紹介すると愛好者が殺到、トラブルが多発したためコスプレ禁止。08年秋のリーマンショック以降激減していた同館の入館者は、09年8月30日の民主党の総選挙圧勝後に一転して急増。秋の散策シーズンとも重なり大人気ツアーとなった、はとバス広報部では、「選挙結果を受けた企画ではなく、はとバスの『はと』とは無関係」としながらこの現象を歓迎している。

場所企画者としての個人的見方で改修前の写真を見ると、この時の荒廃した佇まいこそ、多くの写真家や映像製作者に必要な場所だったに違いないと思ったのは事実だ。しかし、鳩山家が建物を大事に修復保存し、一般にまで公開していることが素晴しい。近代日本の政治と教育に貢献した鳩山家が音羽に居を構えて四代。民主党を作った由紀夫が戦後初の政権交代を実現し、祖父一郎が作った現自民党を倒したこと、そこに掲げたスローガンが四代受け継ぐ「友愛」の精神であったこと、兄弟が対立政党に分かれて戦ったこと。またその精神を育んだ建物の修復が母・安子の意志と資財によるもので、今や人が群れをなす観光名所となっていること。訪れたくなる建築とは、絵になるだけではなく、なんと多くの歴史的ドラマをまとっていることかと、思いに耽ったのだった。

[参考/鳩山会館パンフレット他・鳩山会館HP] 現地取材2009.09.16

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